フライトまではあと3時間ほど。空港には少し早く着きすぎた。
ラウンジに入ってコーヒーを頼み、ひとまず椅子に腰を下ろしたものの、急いで片づける仕事が残っているわけでもなく、誰かと待ち合わせているわけでもない。
ただいつもとは違う場所で、いつもとは異なる心情で、ノートPCを開いてこのブログを執筆している。
これから上海へ向かう。
とはいえ、観光に行くわけではない。中国に住む家族に会いに行くための移動だ。
妻はメーカー勤務で、2024年から3年間という期間限定で中国拠点に出向している。しばらくは単身赴任をしていたが、昨年、娘も中国へ渡り、今は妻と一緒に生活しながらインターナショナルスクールに通っている。
だから今の私は、日本で一人暮らしをしている。
・・・いや、正確には猫2匹とモモンガ2匹が中心の、すみっこぐらしをしている。
今回の中国行きは、少しだけいつもと事情が違う。妻が中国国内で出張に出るらしく、その間、娘のそばにいるために私が向かうことになった。言ってしまえば、短期間だけ役割を交代するようなものだ。
観光と呼べるものではないし、特別な予定があるわけでもない。ただ、家族に会いに行く。それだけの「移動」。
でも、国を超えた家族時間を取り戻すための移動を繰り返していると、「家族と共に過ごす時間」というものについて、少し考えることが増えた気がする。
我が家はある意味で変則的(ちょっと変わった?)形だと思うが、家族の在り方などは、それぞれに違った形があるのだろうと思う。
たとえば、同じ家に住んでいても、ずっと一緒に過ごしているわけではないし、それぞれがそれぞれの時間を持っている。
逆に、今みたいに距離があっても、毎日のように連絡を取り合っていれば、生活の断片はちゃんと共有されている。
普段からWechatでよく話しているし、時差もたった1時間しかないから、「今日は何してた」とか「今こんなことがあった」とか、そういうやり取りは途切れずに続いていて、遠くにいるからといって、存在そのものが薄れていくような感覚はあまりない。
それでもやっぱり、実際に会うのは違う。
画面越しに見ていたものが、急に現実に、同じ空気感のもと、近しい距離感に戻る。
同じ空間にいて、同じ空気を吸って、同じ時間を共に過ごす。
ただそれだけのことなのに、やっぱりそこには、ちゃんとした意味があるのだと思う。
フライトまであと2時間半くらいか。
このブログを書き始めてからさして時間もたっていない。
せっかくなので、もう少し写真でも撮りながら過ごしてみよう。
出発までのフリータイム。これも一つの醍醐味と言えるように。

