もの言わぬ命と暮らすということ

撮影の舞台裏や雑記

先日、一緒に暮らしているフクロモモンガの体調が悪くなった。
フクロモモンガたちは夜行性なので、私が寝る前にケージから出し、部屋の中を散歩させるのが日課になっている。いつもなら扉を開けた途端に勢いよく飛び出してくるのだが、その日は、小さな体を丸めたまま静かにしていた。

何かがおかしい。そう思った。

翌朝、いつも診てもらっている病院へ連れていったけれど、そこでできる検査や治療には限界があることがわかり、詳しく診てもらえる専門病院を受診した。そこでも原因を特定できなかったため、セカンドオピニオンとしてさらに別の病院でも診てもらい、ようやく体調を崩した主な原因が見えてきた。
根本的に治せる病気ではないことがわかったため、今後は、薬による対症療法を続けながら付き合っていくことになる。それでも今は、ひとまず走り回れるくらいには元気を取り戻し、食欲も戻っている。決して安心しきれる状況ではないけれど、なんとか日常に戻ってきている。

今回、不安に駆られながらいくつもの病院を回る間、私は何度も考えていた。
なぜ、もっと早く気づけなかったのだろう。何か予兆はなかったのだろうか、と。
改めて日常の中にある小さな違和感を、もっと大切にしなければならないと改めて思った。

小さな異変に気づけるのは、そばにいる人間だけ

人間と一緒に暮らす犬や猫、フクロモモンガたちは、自分の症状を言葉で伝えることができない。
見た目にもわかるほどぐったりしていれば異変に気づきやすい。けれど、猫や小動物のように体調不良を隠す傾向が強い動物もいれば、痛みを抱えたまま普段どおりに振る舞う犬もいる。
それでも、一緒に生活をする中で、ふとした違和感に気づくことがある。

食欲が少し落ちたような気がする。
なんとなく毛に艶がないような気がする。
動きが鈍いような気がする。
咳をしたような気がする。

そんな「〜な気がする」という程度の小さな違和感が、実は動物たちから発せられた重要なサインだったりする。そして、その違和感が確信に変わってから病院へ行ったときには、すでに病気が進んでいることもある。

もちろん、飼い主がすべての予兆に気づき、病気を見つけたとて、確実に命を救えるとは言い切れない。それでも、自分で症状を説明できない彼らを病院へ連れていけるのは、いつだって飼い主だ。治療につなげる最初のきっかけは、毎日そばにいる人間の小さな気づきに委ねられている。

別れのあとに残るのは

私はこれまでに、多くの動物と一緒に暮らし、その命を見送ってきた。
天寿を全うした子もいれば、病気で亡くなった子もいる。

別れから時間がたった今でも、ときどき考えることがある。
もっと早く病気に気づけていたら、って。あの小さな変化を、ただの疲れだと思わずに病院へ連れていっていたら、もう少し長く一緒にいられたのではないか、って。戻ることのできない過去に向かって、何度も「もしも」を繰り返してしまう。

動物を失ったときの苦しさは、「もう会えない」という寂しさだけではない。
寂しさだけでなく、生前にした選択への後悔が、時間がたってからも何度も押し寄せてきて、なかなか消えてくれない。

選択への後悔は尽きることがない。
あの日、気づいた小さな違和感を、すぐ病院へ相談しておけばよかった。
「明日まで様子を見よう。週末まで様子を見てみよう。」
なんて、様子見の選択をせずに、すぐに行動していれば違う未来があったのではないか。
そのときは、そのときなりに考えていたはずだし、目の前にある状況の中で、その子の命をつなぐために、最善だと思える選択をしていたつもりだった。
それでも命が失われたあとには、過去の小さな判断の一つひとつが、自分を責める材料となって容赦なく降り注ぐ。

過去の後悔を、次の行動に変える

どれだけ完璧な飼い主になろうと願っても、たぶん完璧にはなれない。すべての病気を早期に見つけ、数ある治療や選択肢の中から正解だけを選び続け、必ず天寿を全うさせてあげることは、現実にはとても難しい。
それでも、異変に気づいたときに行動することはできる。というより、「病院へ行ったほうがいいのかな」と一瞬でも思った時点で、動いてほしい。

週末まで待とう。明日になっても変わらなければ行こう。もう少し様子を見てから考えよう。先延ばしにしたくなる気持ちはよくわかる。仕事や子育て、日々の生活に追われる中で、動物病院へ連れていくには時間も手間もかかるし、結果的に何もなければ、「少し心配しすぎたかな」と思うこともある。
それでも、やったほうがいいと思ったことは、できるだけその時点で動いてほしい。
判断に迷ったときは、「この選択をしたことで、あとになって悔いが残らないだろうか?」と、自分に問いかけて欲しい。未来の結果を知ることはできないけれど、少なくとも、今できることを先延ばしにするかどうかは選べる。

「やればよかった」という後悔を、少しでも「やっておいてよかった」に変えていく。
もの言わぬ命と暮らすうえで、その積み重ねが大切なのだと思う。
何もなければ、それで安心できる。少し心配しすぎたと笑って帰ればいい。もし何かが見つかれば、その時点から治療を始められる。

もちろん、異変に気づいた瞬間に病院へ連れていき、できる限りの治療をしたとしても、命が尽きてしまうことはある。早く行動したからといって、必ず救えるわけではない。それでも、あのとき目をそらさなかったこと、病院へ連れていったこと、その子のためにできることをしたという事実は残る。それが悲しみを消してくれるわけではないけれど、「あのとき、気づいた瞬間から動いていたら」という後悔から、自分の心を守ってくれることはある。

動物と暮らすと決めた瞬間から、いつか別れを経験することは決まっている。だからこそ、特別な日だけではなく、なんでもない日のごはんや、寝息や、足音や、こちらを見上げる目を大切にしたい。

言葉を話せない家族の声を、こちらから聞きにいく。

それが、もの言わぬ命と暮らす人間にできる、いちばん大切なことなのだと思う。


今回の出来事をきっかけに、異変が起きたときにすぐ行動できるよう、かかりつけ医や夜間救急、普段確認しておきたい項目をまとめました。